Story #2: Nylon Trunks ナイロンでビーチトランクスを作るには、 ちょっとしたアイデアが必要だった。

07.21.2015

Birdwell

ビーチトランクスの話

by Rin Tanaka

1961年にキャリー・マンが<バードウェル>社を創業すると、同社のカスタムメイド・トランクスは徐々に「口伝え」で評判になっていきました。しかし当時はまだインターネットのような便利なメディアが存在しなかったため、地元からのオーダーが圧倒的に多かったようです。

 それでも、<バードウェル>には創業当初からローカルビジネスを越えてゆく不思議なブランドパワーが宿っていました。そして1963年に雑誌『Surfer』へ広告を打つと、西海岸のみならず、アメリカ全土からオーダーが入るようになります。これにはキャリー自身がまず驚きました。

 1960年に絵描き兼映像作家のジョン・シーバーソンがスタートした自費出版雑誌『Surfer』は、1961年から年4回の定期発行となります。そして瞬く間に全米中のビーチボーイズたちに愛読される人気雑誌になりました。1950年代後半に始まったサーフブームは1960年代に入ると“サーフィン産業”として巨大化し始め、大きなカルチャーパワーを全世界に発信してゆくようになります。その過程でサーファーとビジネスをうまく繋いだ同誌の影響力は絶大だったわけです。

 <バードウェル>にとって予想以上に反響が大きかったのが東海岸でした。サーフィンの歴史は大昔にハワイで始まり、戦後にカリフォルニアで大きく開花しました。しかし東海岸にも熱狂的なサーファーが沢山いたのです。そして彼らも「カリフォル二ア・スタイル」に憧れていました。

 中でも東海岸でいち早く<バードウェル>を取り扱い出したのが、1964年にオープンした<ジュノ・サーフ・ショップ>(フロリダ州ジュノ・ビーチ)でした。しかも<バードウェル>に送られてきた最初のオーダー表には他社が作ったナイロン製トランクスが添えられており、「これと似たようなものを、バードウェルのパターンで作って欲しい」と書かれていました。それは彼らが地元で結成したばかりのサーフクラブ用だったそうです。

 幸いにも、<ジュノ・サーフ>は現在もフロリダ州でビジネスを続けており、しかも創立者のトム・バターウォースさんは2015年の今日現在も元気に働いていました。

「店を始めたのはもう50年前の1964年のことで、自分はまだ18歳だったんだよ!当時は地元にサーフションプがなくて、そもそも東海岸にはサーフィンビジネス自体が殆ど存在していなかった。そこで店の商品の大半はカリフォルニアから仕入れていたんだ。サーフボードは<デゥイー・ウェバー>、<ホビー>、ちょっと後になると<ディック・ブリューワー>に<マイク・ヒンソン>だったりね。サーフトランクスはやはり<ホビー>、そして<ケイティン>や<ハンテン>、もちろん<バードウェル>はオープン当初から取り扱っていた。たぶん雑誌『Surfer』の広告で<バードウェル>を知ったんだと思うよ。当時、他社製品の値段が$6ぐらいだったに対し、<バードウェル>はカスタムオーダーで$9.95と少し高かった。しかし色も豊富に選べて、それはよく売れたよ!  最初は電話をするとオーナーのキャリーが出てきて、次に娘のヴィヴィアンが長く担当するようになった。さらに孫のエヴェリンへ変わったのが20年くらい前だったかな。つまり私はバードウェル家の3世代を全員知っているんだ! しかし今現在生き残っているのが自分だけというのは、なんとも寂しいね。え、大昔のトランクスをまだ保存しているかって? たぶんクローゼットの中にあるんじゃないかなぁ。フロリダを訪れる機会があったら、是非店に立ち寄ってくれたまえ!」

 実は1964 年当時、トム・バターウォース青年から送られてきたサンプルを眺めながら、キャリーは悩みました。なぜなら創立当初の<バードウェル>はまだキャンバス製トランクスしか作っていなかったのです。1960年代初頭は「サーフトランクスといえば、キャンバス製が当たり前だった」ようです。

 ナイロンの歴史を調べると、インターネット上で「1935年に米デュポン社が開発に成功した」と記述されています。その後は改良が進み、ついに1960年代初頭になると一般衣料品として世の中に普及しています。まさに<バードウェル>が創業した1961年頃は、ナイロン素材がサーフトランクスに使用され始めた最初のタイミングだったわけです。

「しかし、送られてきたナイロンでは水が入ると体にくっついてしまうわ……

 そこでキャリーが考えたアイデアが、裏表に2つのナイロン生地を組み合わせることでした。これによってトランクスが水を含んでも体に張り付かなくなり、大きな問題が解決したのです。あとは彼らのリクエスト通りに、同社が創立当初から使う「301」というパターンで縫製すれば完成です。

 以降、「ナイロン製の301」が<バードウェル>の定番品となり、ビジネスが成長してゆくことになります。そして<ジュノ・サーフ>との取引も年々大きくなりました。さらに50年後の今日までお互いのビジネスが続いていることが何よりも驚きです。恐らくトム・バターウォースさんにとっての<バードウェル>とは、カリフォルニアからグッドバイブとビジネスを運んでくれる「幸せの鳥」だったに違いありません。それこそがきめ細かいカスタムメイドを続ける老舗<バードウェル>の独特な魅力ではないでしょうか。

(次号に続く)

 

雑誌『Surfer196411月号の表紙を飾ったのは、良い波に乗るビキニガールでした! その奥で相乗りする若者がまさに典型的なカリフォルニア出身のサーファーで、当時は「ナイロン製のサーフトランクス一枚に、上は裸」が基本でした。当時はまだ(ちゃんとした)ウェットスーツがなかったため、冬は15分も海に入ると限界だったようです。

 

同誌の1964年に11号に掲載された<バードウェル>社の広告より。”Army Duck Canvas Surfers”とはキャンバス(その昔アメリカではキャンバスのことを“Duck”と呼んだ)製のサーフトランクスで、創立当社はそれが定番品した。そして”Spinnaker Nylon Surfers”1964年頃に発売したばかりの新製品でした。

 

このサーフトランクスは、<バードウェル>社の創立間もない1963年頃のヴィンテージ品です。当時はまだナイロン製よりもキャンバス製の方が一般的でした。ヘソ部分のホールが1列しかないので、女性用だったかもしれない。

 

こちらはナイロン製トランクスが同社から「新発売!」された、1960年代中期頃のヴィンテージ品です。「301」というパターンで作られており、ここに今日まで人気が続く<バードウェル>の定番スタイルが完成しています。“Princeton Swimming”とは、東海岸の名門私立大学、プリンストン大学にあるプール施設のライフガードスタッフ用に作られたものでしょう。<バードウェル>の顧客には、昔からビーチやプールで働くライフガードが異常に多かったようです。